「適応力」とは何か?
「人類は環境に適応することで進化してきた」
「進化」と言えるのは、現代を生きる我々人間が、進化以前の状態を「劣ったもの」とみなしているからである。
狩猟採集社会や農耕社会を経て、今の人類がある。
高校で習う古典は、このあたりのお話が中心だ。
通い婚やら出家遁世やら、現代っ子には理解しがたい文化。
中古〜中世になると、現代との比較では捉え難い何かが見えてくる。
和歌で恋心を伝えていた彼らと、SNSで想いを吐露する我々の間に、果たして違いはあるのだろうか。
そんな話題はさておき
教育現場でも「適応」という言葉はよく使われる。
殊に、適応を強制することに違和感を覚える。
「社会に出る」ことを見据えて指導するのが、高等学校だ。
自分の思い通りにはいかない。要求されたレベルに合わせる必要がある。好き嫌いではなく、考え方を変えていく。ある程度は諦めが必要である。
諦め?
諦めて環境に合わせることが適応ならば、適応という言葉にポジティブな意味を持たせることが難しくなる。
現状では解決できない困難に向き合って初めて、適応力が試されるはずだ。
困難の乗り越え方は、十人十色。自らが考え出した方法で道を切り拓く。
そんな経験の積み重ねが、適応だろう。
毎日毎日、悶々とする。
明日は金曜日。
濃いめのハイボールとローソンのからあげくんで優勝。